教育現場でタブレット端末…本当に必要なのか?

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珍しく時事ネタを。経済対策に、教育現場への1人1台タブレットが検討されていると発表されたので気になってね。

ぼるしちはどうしても必要とは思えない…教育現場へのタブレット。むしろ害悪の方が大きいと感じている。

そこで今一度、勉強って何か、考えてみようと思った。

タブレットに出来る事 白紙に書き出す事で出来る事

ただ単に教科書や参考書の内容がそのままタブレットに入るだけの電子書籍なら不安には思わないんだけど、タブレットってそうじゃないよね。

あれは仮想キーボードを使った小型ノートPCの様な物。

そう分類上PCなんだよね、タブレットって。

私はパソコンを使えるようになることは必要だと強く思う。

でも私は常にこう思っている。
パソコンを使った教育では無く、パソコンを使える教育は必要
と。

パソコンを使えるようになる事はAIの大頭からも必要性は感じる。この先の世界でパソコン・インターネット・プログラム等が理解できないと色々可能性が制限されるんじゃないかと。

その場合、教育っていうのはそれらパソコン・インターネット・プログラム等とは何か?何が出来て・何が出来ない?どう扱う?リスクは?等々って言うことになると思う。

でもタブレットを教育現場に持ち込んで、パソコンを使った教育を施した場合…何が起こる?

容易に考え付くことは…
・問題とヒント、解き方、答えをタブレット内に収納する
という事。

ここで問題
・5+10=□
資格に入る数字を記入しなさい。

これを手書きノートとタブレット、どちらが効率よく回答できるか?おそらくタブレットだろう。

そりゃそうだ。

タブレットならテンキーが出てきて数字を打ち込んだらその場で正解・不正解が分かるからね。

そう、打ち込んで回答結果を確認する。

と、言い切っているけど、うちの子の学校ではタブレットを使っていないので、予想の範囲で答えているので、その点だけご理解を頂きたい。

ただ、往々にしてPCを使った問題とはそうなる傾向にあるよね。

ではもっと問題が複雑になったら?
・大中小3種類のコインが有ります。大は中の2倍の価値、中は小の3倍の価値が有ります。では大は小の何倍の価値が有りますか?

このとき、タブレットの回答はどうなるかな?正解を導くための効率的なタブレットの使い方はきっとこうなるだろう。

ヒント…小3つので中だね。なら中2個分が大の価値なら?とか、図で示した場合も、大中小それぞれ明確に差が分かるようにイラストで解説されるだろう。

そうやって解説されれば、誰でも答えを導けるように。

これが、白紙のノートに自分で絵を書いて、答えを探す作業になった場合…どうなるかな?中にはコインの大きさを大中小同じにして混乱する子供、大中小は区別したけど価値を2倍と3倍を理解できなかった子、きちんと書き出して理解できた子。それぞれ多岐に分かれるだろう。そして何が違ったのかを再度熟考する。

そう、答えを導くまでにどれだけ思考を重ねたか…。それが勉強じゃないのか?

タブレットを導入した学校では成績が上がったという報告もあるみたいだけど、そりゃそうだろ??上がらなかったらびっくりだよ。教科書の問題に簡単に回答出来て、解説が簡単に読めるんだから。

でもそれって受験勉強に必要な記憶と同程度の学習で有って、本当の勉強って呼べるのかな?

中学受験・高校のテスト・大学受験・大学の期末テスト。こんな物は解き方を記憶すればある程度解ける様に出来ているじゃない?それと何が違う??

凡そ似たような問題が過去問にあって、解き方が存在して、後は数字や問われ方、ひと捻りが入っているだけだから、タブレットでの教育はこれらには対応しやすいだろうと容易に想像できる。

でも、本当に必要な物って、そんなもの??そんな事を繰り返してきた私が思う事は、勉強ってそうじゃないよね??って事。タブレットは“そんな事”を加速させる可能性が強いツールだと感じる。

判らないことに対し興味を持ち、自ら解き方を考え、試行錯誤して回答を導く。それが不正解であってもかまわない。如何に試行錯誤を重ねたか。如何に知見を深めたか。

私にはこれが勉強だと感じる。

タブレットが導入されるというのであれば、自ら解き方を考え、試行錯誤をする妨げにならないように切に願う。

教育現場へのタブレット導入のリスクは説明が無いように感じている。便利な物には相応の副作用が有るのはとうの昔に分かっているのに。

本当に不安しかない…。

そもそも教育と経済を結び付ける危うさ

そもそも経済対策で教育の在り方を変えるって…それでいいのだろうか??

教育と経済活動は結び付けちゃダメなんじゃないか??

そんなことしたら…教育から新たなイノベーションなんて生まれるの?それよりも国の有り方最優先で教育が施されることになるんじゃない?

教育や勉学っていうのはその人が確固たる個人を形成して、独立出来て、さらには一見不要と思われる学問を追求して行ったりして、思わぬ発見をしたりして人類はもとより地球にとっても有益な何かをもたらす、それ程に広義な物である必要が有るんじゃない??

それを経済活動優先で考え始めたら、その土台が崩れるんじゃない?

一時の経済活性化の為に導入する、そのタブレットのリスクは考慮した?

まだ実際のタブレットによる教育を見ていないから、予想の範囲で否定的な意見を述べているだけだけど、正直怖いな…。

変化に対する恐怖ももちろんあるんだろう。だから、この心配が杞憂であることを願う。

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